コロナ・ワクチン接種1回目がんばりました [まったり日より]
今日は七夕ですね
息子は基礎疾患枠で ワクチン接種の一回目を
無事に接種してきました。
息子は重度の自閉症があり(旧・小児期崩壊性障害)
針への恐怖が 精神的に耐えられないので
歯科の治療は 大学病院で全身麻酔の手術が必要でした。
その・・俺様が・・「僕はコロナで死にたくありません」
「(ICUに)3週間 死にます。僕は死にたくありません。
チックんします。がんばれます
そして、
Tシャツの袖をまくっては「ちっくんします。がんばります」と
毎日、何度も繰り返していました。
今日は、いよいよ・・ワクチン接種。
病院の看護士さんに私が接種した時に息子のことを相談して、
ワクチン接種の受付の時も、問診の時も
息子の状態を相談して 準備してきました。
パパも今日は年休を取ってくれて準備していました。
怖いときは パパがいてくれると安心します。
今日、どんな行程になるのか スケジュール表もつくり
病院の略図も書いて どんな風に動くのかも
不安が無いように準備
注射が終わったら、
日本橋千疋屋総本店で 小さいホールケーキを買って
好きなケーキもたくさん買って
マクドナルドでランチを買って・・・
もうめいっぱい用意して・・・
久しぶりに作ったチェック・シートが役に立ちました。
病院の受付=OK
お医者さんの問診=OK
そして・・とうとうワクチン接種!
「まこちゃん うつところじゃなくて、こっちを見て~」
なのに俺様は
「大丈夫のです。ちっくんを見ます」
じ〜〜〜っと注射をうつところを見ていました。
・・・看護士さんが お若くてかわいい感じの方で・・・
「痛いけど、ごめんね
おお〜強いね すごいね だいじょうぶだったね
終わりましたよ
俺様・・
「がんばったよ」
看護士さんのパワー偉大なり〜
大人になったね・・お年頃だね・・・って??
今回のワクチン接種の注射の針が とっても細かったことも幸いでした
痛いけど、 がんばれた・・のかな???
予定通りに 千疋屋総本店の小さいホールケーキを買って
他にも大好きケーキを買って
パパと俺様は タクシーでお家に帰り・・・
私は地下鉄で帰って マックによって 俺様の好きなセットを買って
家に帰りました・・
もう、心臓バクバクな1日でしたが、無事にワクチン接種を終えてきました。
次は7月最後の週に2回目です。
「1回目終わった、セカンドは○○日。がんばる!」と俺様
また パパが年休をとる
千疋屋総本店のホールケーキ マックのランチ
このコースは確定みたいですね
俺様がつけているマスクは グンゼのクール・マスク(布製)です
大きさは大人用のみです。
縫い物が得意な方は 小さめに加工しても良いかもしれません。
我が家は1年をとおして パパと俺様がこのマスクを愛用しています。
(パパは仕事中は不織布マスクですが、肌が弱いので布も使っています)
https://www.gunze.jp/store/g/vMAS012S/
テレビ東京「チマタの噺」放送後〜 [まったり日より]
テレビ東京・鶴瓶さんの『チマタの噺』放送が終わりまして・・・
私は 「ちまたの人」ですから、街頭インタビューの様子が3分くらい流れたんですけど・・
とっても恥ずかしいですね〜
ゲストは「若大将」の加山雄三さんでした。
「チマタの噺」期間限定VTR〜Facebookからリンクしています。
Facebookの方は UFOや不思議世界を話題にしています。
北区に住んでいた頃・・社宅でしたので、役員の奥様からの執拗な嫌がらせや(ドラマみたいですが)様々な悩みは尽きなかったのですが・・・
50代に入ると夫婦関係も以前とは変わってきていて・・
まこちゃんの障害のことも・・私たち夫婦のことも・・ 崖っぷちでした
その時に、深夜遅くにベランダに出ては・・願掛けをしていたんです。
その時のことを お話ししています。
まこちゃんのことは そっとしておいてほしかったので、インタビューしてくれた方には事情をお話ししましたが、VTRでは話題にしていません。
もう50代後半で・・・まこちゃんが高等部を卒業する頃に 最大のストレスで 1ヶ月で2サイズも体重が増えてしまって・・落ちません・・
8月の後半に 浅草での街頭インタビューでしたが、36度を超える猛暑でまいりました。
「暑すぎる!」化粧もとれて・・ああ〜〜〜・・・という感じですよ〜
50代後半でも ほぼすっぴんと同じなのは恥ずかしいわよね〜・・
そして、放送も終わって 深夜遅くに・・
恥ずかしながらの録画を再生して・・i-phoneでパチパチと撮ってみたら・・・
おでこに 不思議なものが写っていました。
TVの手前ではなく、放送されたVTRに写り込んでいたものみたいです。
ちょっと画面が粗いのですが おでこの右側に写っていたのは 小さなUFOたちです。
おでこに ささっているのではなくて・・浮かんでいる感じかな?
生え際には サイコロのような模様のあるUFO 帯状に伸びているUFO の3機があります
そして左側のこめかみの奥には ブルー系(紫系?)のUFOが写っています。
丸い突起が2つありますね。
私はUFOさんたちが大好きなので、応援にきてくれたかしら?と思っています
うれしいですね〜
私たちの周りは いつも不思議に囲まれているけれど・・
日常の中で 気がつかずにいるだけかもしれません。
私は小さな頃から 不思議な世界の住人でした。
みなさんの周りの子供達〜そして大人たちも 不思議な世界を共にする人たちがいるかもしれません。
とても驚くような話をしても・・・
それは 本当に体験している大切なことを 素直に正直にお話ししてくれているかもしれません。
そんな時は どうか 耳を傾けて聞いてくださいね。
幸せなエネルギーが あなたを包んでくれるかもしれませんよ
私は 「ちまたの人」ですから、街頭インタビューの様子が3分くらい流れたんですけど・・
とっても恥ずかしいですね〜
ゲストは「若大将」の加山雄三さんでした。
「チマタの噺」期間限定VTR〜Facebookからリンクしています。
Facebookの方は UFOや不思議世界を話題にしています。
北区に住んでいた頃・・社宅でしたので、役員の奥様からの執拗な嫌がらせや(ドラマみたいですが)様々な悩みは尽きなかったのですが・・・
50代に入ると夫婦関係も以前とは変わってきていて・・
まこちゃんの障害のことも・・私たち夫婦のことも・・ 崖っぷちでした
その時に、深夜遅くにベランダに出ては・・願掛けをしていたんです。
その時のことを お話ししています。
まこちゃんのことは そっとしておいてほしかったので、インタビューしてくれた方には事情をお話ししましたが、VTRでは話題にしていません。
もう50代後半で・・・まこちゃんが高等部を卒業する頃に 最大のストレスで 1ヶ月で2サイズも体重が増えてしまって・・落ちません・・
8月の後半に 浅草での街頭インタビューでしたが、36度を超える猛暑でまいりました。
「暑すぎる!」化粧もとれて・・ああ〜〜〜・・・という感じですよ〜
50代後半でも ほぼすっぴんと同じなのは恥ずかしいわよね〜・・
そして、放送も終わって 深夜遅くに・・
恥ずかしながらの録画を再生して・・i-phoneでパチパチと撮ってみたら・・・
おでこに 不思議なものが写っていました。
TVの手前ではなく、放送されたVTRに写り込んでいたものみたいです。
ちょっと画面が粗いのですが おでこの右側に写っていたのは 小さなUFOたちです。
おでこに ささっているのではなくて・・浮かんでいる感じかな?
生え際には サイコロのような模様のあるUFO 帯状に伸びているUFO の3機があります
そして左側のこめかみの奥には ブルー系(紫系?)のUFOが写っています。
丸い突起が2つありますね。
私はUFOさんたちが大好きなので、応援にきてくれたかしら?と思っています
うれしいですね〜
私たちの周りは いつも不思議に囲まれているけれど・・
日常の中で 気がつかずにいるだけかもしれません。
私は小さな頃から 不思議な世界の住人でした。
みなさんの周りの子供達〜そして大人たちも 不思議な世界を共にする人たちがいるかもしれません。
とても驚くような話をしても・・・
それは 本当に体験している大切なことを 素直に正直にお話ししてくれているかもしれません。
そんな時は どうか 耳を傾けて聞いてくださいね。
幸せなエネルギーが あなたを包んでくれるかもしれませんよ
テレビ東京「チマタの噺」にちらりと出ちゃう [まったり日より]
8月に浅草でテレビ東京さんの街角インタビューを受けたのですが・・
2018年9月11日(火)深夜0時12分放送!(24:12~25:00)
ゲストが加山雄三さんの回に
ちらりと短いVTRが流れますよ
とご連絡を頂きました。
36度を超える猛暑の日で・・
+舞い上がっていたので・・・
何を話したのか覚えていないのですが・・・
UFOに願掛けてましたとか
アロハシャツのグレイ君 ベランダに登場とか
夜空を見ると 空飛ぶクラゲが・・とか
インタビューの方が上手なので
ついついたくさん お話ししちゃいました
でも=そこは ショートに超短くすっきりと・・・
パパッと流れるみたいですよ。
ふっくらしたままの私でございますが、笑いながら見てくださいね
82歳の日本人女性プログラマーの人生 [まったり日より]
とても素敵な記事なので、保存の為に抜粋しました
アップル社ティム・クックCEOも注目する、82歳の日本人女性プログラマーの人生
若宮正子さん
アップル社が主催する今年のWWDC(世界開発者会議)で、最高齢プログラマーとして、ひときわ話題をさらったのは、ひとりの日本人女性。ティム・クックCEOから「どうしても会いたい」と招待された若宮正子さんは、想像を超える、文字どおり好奇心と行動力の塊のような人だった。
「マサーコー、ワカミーヤ」
アップルのティム・クックCEOが登壇。親愛の情を込めて若宮正子さんの名を呼ぶ。今年公開されたアプリの開発者で82歳の日本人だと紹介すると、大きな拍手が沸いた。
6月5日、IT企業がひしめくアメリカ西海岸のシリコンバレーで開かれたアップルの世界開発者会議「WWDC2017」基調講演でのことだ。世界各国から5300人の開発者が集まる年に1度のイベントで、最高齢プログラマーとして招待された若宮さんには、外国メディアの取材が相次いだ。
若宮さんが作ったのはiPhone用アプリ「hinadan(ひな壇)」。ひな人形を正しい位置に置くゲームで、誰でも無料でダウンロードできる。シンプルな内容だが、やってみると五人囃子の配置などうろ覚えで、結構難しい。今年2月24日に公開されると、「81歳(公開当時)のおばあちゃんが作ったシニア向けアプリ」と話題を呼んだ。
基調講演の前日、若宮さんはクックさんから、こう話しかけられた。
「あなたの存在は、私たちに勇気を与えてくれます」
若宮さんはhinadanを見せながら説明した。
年寄りは手が乾いていて指を滑らせるスワイプ操作が苦手なので、画面を叩くタップだけで遊べるようにした。正解・間違いを表す音が鳴るが、耳の不自由な人でもわかるように文字でも表示するなど、工夫した点を話すと、クックさんから質問が相次いだ。
「iPadでは使えないのですか?」
「文字のサイズは小さすぎませんか?」
「私も目が悪いので、大きいほうが助かります」
世界的企業のトップと直接話した印象を、若宮さんはこう表現する。
「なんだか街のパソコン塾の先生みたいなこと言うんだわ、この人はと思って(笑)。初心者の私のレベルに降りてきて、一緒に問題点を考えてくださったところがすごいですよね。
私のアプリは“今まで1回もスマホに触ったことがない人でも楽しめた”とよく言われますが、クックさんも経営者ですから、新しい顧客層を開拓できるとひそかに思ったんじゃない?」
実は若宮さん、アップルからの招待を1度断っていた。兄とのロシア旅行の予定と重なっていたためだ。
「断ったのに、どうしても会いたいと言っている人がいるから来てくれと。誰かと聞いたら、クックですと。え〜っ、それは行かなきゃまずいでしょと思ったのね」
温暖なアメリカ西海岸から帰国すると、スーツケースに防寒着を詰めて成田空港に取って返した。ロシア旅行から戻るとすぐ、神奈川県藤沢市の自宅にテレビの取材クルーが来た。
「時差があったし、メチャクチャ大変ですよ。でも、逆に言うと、疲れている暇がないくらい忙しい。あとでゆっくり疲れれば、いいじゃない。アハハハハ」
そう早口で言って、軽妙に笑い飛ばす。82歳とは信じられないタフさだ。
しかも、若宮さんがパソコンを始めたのは、なんと還暦を過ぎてから。プログラミングを学び始めたのは81歳のとき。それから半年でhinadanを完成させたというから、ビックリだ。
快挙の裏には、若宮さんが“師匠”と呼ぶ男性との出会いがあった。スマホアプリの開発やプログラミング教育を手がける宮城県塩釜市の小泉勝志郎さん(テセラクト代表取締役社長)だ。
若宮さんはNPO法人ブロードバンドスクール協会(以下BBS)の活動で仲間とシニアにスマホを教えている。その活動の一環で、震災復興支援活動をする小泉さんと知り合った。
「お年寄りが若者に勝てるゲームを作りませんか」
会うたびに、小泉さんは若宮さんにそう話した。一緒にアイデアを練り、生まれたのがhinadanの原型だ。
それをもとにゲームの仕様書を書いた若宮さんは、小泉さんにアプリを作ってほしいと頼んだ。だが、小泉さんの返答は思わぬものだった。
「僕が作っても話題にならないけど、若宮さんが作ったら、チョー話題になりますよ。僕が教えますから」
そして昨年8月、無料通話アプリのスカイプやFacebookのメッセンジャーで連絡を取りあい、二人三脚の挑戦が始まった。
小泉さんによると、若い人でも半年間でアプリを作るのは大変だという。それを当時81歳の若宮さんが成し遂げたのには、いくつかの理由があったそうだ。
「プログラミングって全部、英語で書くんですよ。僕は学生にも教えていますが、みんな英語が出てきた瞬間に動きが止まっちゃう。でも、若宮さんは海外旅行が趣味なので、英語に抵抗がない。
しかも、BBSの例年行事である翌年の“電脳ひな祭り”までに、絶対に出したいという固い意志がありました。プログラムを作っていると、思うように動かないことがよくありますが、若宮さんはメンタルが強くて心が折れないんですね。そもそも普通のお年寄りは自分でアプリを作ろうとはならないけど、若宮さんの新しいものに対する感度のよさはすごいです」
若宮さん自身は、どんな思いで取り組んでいたのだろうか。
「だって、年寄りが面白いスマホゲームって、全然ないんですよ。私が習ったswiftという新しいプログラミングソフトは、ある程度までは図を使って感覚的にできるんです。昔みたいに上から下まで全部文字をダーッと打つ必要はありませんが、それでもお世辞にも簡単とは言えないですよ。
でもね、うまくいかなければ途中でやめればいいわけですし。やめても誰も死なないし、オレオレ詐欺みたいに何百万円も取られるわけじゃないしね(笑)」
前向きなだけでなく、絶妙な力の抜き加減だ。
■好奇心旺盛な負けず嫌い、女性初の管理職に
3人きょうだいの末っ子の若宮さんには、91歳、86歳の兄がいる。
「妹が急に雲の上に上がっちゃった感じ」と感慨深げなのは次兄の若宮和夫さん。毎年のように一緒に旅行に行くなど仲がいい。
「妹の名前で検索したら、イタリア語、アラビア語、ヒンディー語など、いろいろな国の記事が引っかかってきて、面白かったですよ。妹はいつか何かをやると思っていましたが、ネット時代だからここまで有名になったんでしょう。努力もあるでしょうが、昔から運もいいんですよ」
和夫さんによると、幼いころから若宮さんの意志の強さは際立っていたそうだ。
「1度機嫌をそこねると、そこらへんに寝ちゃって、幼稚園の先生が何を言っても聞かない。大物というか、怪物というか(笑)。好奇心もものすごく旺盛で、とにかく元気がよかったですね。おふくろは田舎の村長の娘で、勉強でも走るのでも、何でも1番じゃなきゃダメだという人で、妹はそっくり。負けず嫌いでしたね」
若宮さんは1935年、東京の阿佐ヶ谷で生まれた。6歳のとき太平洋戦争が開戦。空襲がひどくなると長野県に学童疎開した。親が恋しかったというよりも、食べるものがろくになく、いつも空腹でひもじかった記憶のほうが鮮明だという。
会社員の父の転勤で家族そろって兵庫県に行くことになり、準備のため東京に戻ってきたら、毎晩のように空襲があった。
「照明弾や焼夷弾がダーッと降ってきて、機銃掃射が始まるのを、何か他人事みたいに、あっけにとられて見ていました。死ぬんじゃないかと大人たちが話してましたが、まだ9歳の私は死ぬって意味がよくわからなかったですね。幸い、うちの一角は焼け残りましたが」
兵庫県で終戦を迎え、東京に戻ったのは中学2年になるときだった。新制中学に切り替わったばかりで、外地から引き揚げてきた作曲家が担任になるなど、教師もバラエティーに富んでいた。
高校は難関の東京教育大学(現・筑波大学)附属高校に進んだ。
「私、今でもそうですが、自分のしたいことをしたいんです。それにダメモト主義ですから、受けたら受かっちゃったの。私より成績がいい人はいっぱいいたのに。なんかね、ものすごく運がいいんですよ。まあ、図々しくてあがらないから、本番に強いって説もありますが」
卒業を前に就職の本を買って調べたら、給料がいちばんいいのが銀行だった。大手都市銀行の試験を受けると、見事に合格。ところが──。
「まだ機械化もコンピューター化もされてなくて、すべて手作業の時代。不器用な私はついていけなくなっちゃったんです。算盤を手早くやったり、お札を数えたり、言われたとおりキチンとこなすのが苦手で。ちょっとした病気をきっかけに、うつ状態になり長期欠勤したり……。いろいろ迷惑をかけましたが、辞めさせられないですみました」
20代のころ、結婚を考えた相手がいた。だが、学園紛争のさなか音信不通になってしまったという。
ふと思いついて、聞いてみた。
「その相手が忘れられなくてずっと独身だったんですか?」
若宮さんはしばらく考えて、冷静に答えた。
「もしかすると、そうかもしれないわね。でも、逆に言えば、独身だったから、仕事をしながら毎年、海外旅行に行ったり、いろいろやりたいことをできたんですよ。当時は結婚して子育てをしながら、ほかのことができるような時代ではなかったから」
高度経済成長を経て銀行業務の機械化が進むと、風向きが変わってきた。算盤を手早くやるより、アイデアマンが重用されるようになり、若宮さんは花形部署である業務企画部に配属された。
もともと好奇心旺盛な若宮さんはさまざまな提案をした。例えば、今ではコンビニで各種料金の支払いができるが、その回収代行制度のもとになるアイデアを出したのは若宮さんだという。
「すごい!」と驚くと、「もちろん、私ひとりでやったことじゃないですけどね」と謙虚に付け加えた。
’85年の男女雇用機会均等法制定を前に、若宮さんの銀行でも女性が管理職登用に関係する試験を受けられるようになり、若宮さんは女性で初めて企画部門の管理職になった。子会社への出向を経て62歳まで働いた。
■介護がきっかけでパソコンに夢中に
退職する前のある日、事件が起こった。
若宮さんはずっと母の鶯子枝さんとふたり暮らしだった。父は早くに亡くなり、兄たちは結婚して独立したからだ。いつも通勤に使っていた東海道線が事故で遅れていたため、帰宅が2時間ほど遅くなると、当時90歳近かった母に電話を入れた。
ところが、家に着くと鶯子枝さんがいない。近所を必死に探し回り、困って警察に駆け込むと、自宅から4キロ離れた場所で保護されているという。鶯子枝さんは見知らぬ家の前で「娘が死んじゃった」と泣いていたそうだ。
「ボツボツ認知症の症状が出始めていたんですが、これはちょっとヤバいなと。退職したら、なるべく家にいないといけないなと思いました。
私、おしゃべりでしょう。おまけにお出かけ好きだから、どうしようかなと思って。本を読んでいたら、パソコンがあればオンラインでチャットができると書いてあったので、パソコンを買ったんです」
素人でも操作しやすいWindows95が発売される前のことだ。メーカーに電話をしたり、販売店で聞いたりしながら、インターネットに接続するのに3か月かかった。
「ちょうど暑い日でね。“ようこそ”というメッセージが出てきたときは、汗と涙でもうウルウル。思わず涙が出たくらいうれしかったですね」
お目当てはシニア向けの全国ネット「メロウフォーラム(現メロウ倶楽部)」。いわばインターネット上の老人会で、掲示板やチャットでの交流のほか、地域ごとにオフ会も盛んに行われている。
「人生、60歳を過ぎると面白くなりますよ」
70歳の会員が送ってくれたウエルカムメッセージに大いに勇気づけられた。
「そこではなんでも本音で語り合えるんです。俳句の部屋とか、生と老の部屋とか、テーマごとに掲示板があって、自分がどうやって年を取って病気になって死んでいくか、先輩たちが身をもって教えてくださることもあります」
ときに、メンバーからこんな書き込みがある。
《長いこと世話になったな。今日はやっと3行書けたけど、明日、何も書かなかったら俺は死んだと思ってくれ》
しばらくして自宅に問い合わせると、書き込みをした後、昏睡状態に陥り、亡くなったと告げられたという。
若宮さんは毎朝、パソコンを立ち上げるとメンバーに挨拶。チャットでおしゃべりを楽しみながら、10年近く在宅で介護を続けた。
次兄の和夫さんがときどき手伝いに来てくれたし、デイサービスやショートステイを利用したとはいえ、「さぞ大変だったでしょう」と聞くと、意外な言葉が返ってきた。
「取材の方は、みなさんそうおっしゃるし、苦労したに違いないと書かれることもありますが、そんなに困ったことは思い出せないんです。母は物忘れがひどくなり、探し物ばっかりしていましたが、忘れるっていうことは、いい面もあるんですよ」
例えば、カボチャを煮る。次の日に残ったカボチャを出しても、
「あら珍しい。美味しいわ」
と、喜んで食べてくれたそうだ。
「私は不良介護人ですから、パソコンをやってて面白くなったらもう夢中でやるでしょ。気がつくと外は真っ暗で、“いけない、おばあちゃん(鶯子枝さん)にオヤツあげるの忘れてた!”とか、しょっちゅう(笑)。それでも100歳まで長生きしたんですから、いいんじゃない?」
■年齢を理由には行動に制限をしない
若宮さんはデジタル機器を使いこなせるようになると、教える側にまわった。
前述のBBSの仲間とともに、高齢者にパソコンやスマホなどを普及するボランティア活動を長年続けている。
メンバーのひとりで20年来の友人である近藤則子さん(62)は、若宮さんの行動力と勇気には驚かされてばかりだという。
「普通だったら、何歳になったからと年齢で行動を制限しちゃう人が多いけど、マーチャン(若宮さんの愛称)は本当に好奇心がいっぱいで、何か新しいものがあったら、すぐにチャレンジするし、どこか行きたいところがあったら、すぐに行くんです」
しかも、周りの人が「ちょっと危ないんじゃない?」と心配するようなことでも、若宮さんは「大丈夫、大丈夫」とやってしまうのだと、近藤さんは強調する。
「ヨーロッパでもオーストラリアでも、ガイドブックに載ってないようなところを自分で調べて、宿泊の予約もしないで1人で行くんですよ。
一緒に香港に行ったときも、2人とも中国語は話せないのにマーチャンがタクシーを止めて交渉して。サバイバルじゃないけど、そういう生きる力がすごいですね」
若宮さんが初めてフランスに旅行したのは40年近く前。まだ持ち出せるお金の制限などがあったころだ。
安い宿に泊まり、好奇心のおもむくままに珍しいものや現地の人の暮らしを見て回るのが若宮さん流だ。銀行で管理職になってからも率先して有休を取り、毎年、海外に行った。旅先で便利だろうと英語も習った。
そうして習得した英語が、後にアプリ開発にも役立ったのだから、人生は面白い。
■面白くなくっちゃ、やる気にならない
10年以上前から、自宅でパソコン教室も開いている。若宮さんが開発した「エクセル・アート」で日本の伝統的な模様をモチーフにデザインをしたり、ワードで絵を描いたり、楽しみながら技術が身につく工夫をしている。
「高齢の女性は手芸とか好きでしょう。エクセル・アートはその延長線上ですから、喜んでおやりになるんです。しかもエクセルを勉強すると、コンピューターとは何か、わかってくるんですね。
シニアにパソコンを教えるというと、よく家計簿と1か血圧の推移をグラフにしたりするけど、そんなのちっとも楽しくない。やっぱり、面白いからやってみたいと思わせないとダメですよ」
生徒は60代から80代まで女性ばかり6人だ。今年3月から通い始めた山澤和江さん(62)に聞くと、和気あいあいとおしゃべりしながら教わる家庭的な雰囲気で、すぐになじめたという。
「本当に脳トレみたいです(笑)。パソコン歴は10数年ですがエクセルは初めてだったので、最初はチンプンカンプンでした。作業は同じことの繰り返しで、色を変えたり、方向を変えたりしますが、手がうまく動かない。先生に言われると、なるほどそうだと思うけど、家に帰ると忘れちゃう(笑)。何度もやらないと自分のものにならないですね」
山澤さんがワードで描いた花の絵を印刷したポストカードを見せてくれた。友人に配ったら好評だったという。次はエクセル・アートでデザインした絵をシャツにアイロンプリントして、身につけたいと張り切っている。
■120歳まで生きないと時間が足りない
若宮さんにシニア向けの新しいアプリは作らないのか聞くと、アイデアは10も20もあるという。シニアの知恵や日本の伝統を後世に伝えるようなアプリを考案中だ。
忙しい合間を縫って、ほぼ毎日Facebookに記事を投稿しており、アップルのWWDCの様子も写真つきで紹介している。またFacebookではこの2年間、「エイティーズの冒険」と題して、シニアが自立するための提案を連載している。近いうちに完成させて電子書籍にしたいそうだ。
「“リケジョ”ならぬ、“リケロウ”こそ必要なんです。老人がパソコンやスマホが苦手なのは、理科がわからないから。文部科学省に言っても100年たっても実現しないでしょうから、まずバーチャルな老人小学校を作って、理科を教えたいと考えています。
今のスマホは音声入力できるから、たとえ寝たきりになっても使えるし、エンディング間近な人同士が交流できるバーチャルターミナルケアみたいなものも、もっとあってもいいと思います」
次々と構想を語りだすと止まらない。
「あとはね、死ぬまでに1度でいいからテレビドラマが作りたいんです。ああ、でもこれは無理かしら」
「若宮さんをモデルにしたドラマができたりして」 思わず口にすると、すかさず答える。
「だったら脚本を書くとか。プログラミングも、もっと勉強したいし。とにかく、やりたいことがありすぎちゃう」
そして、真剣な面持ちでこう訴えた。
「計算するとね、120歳くらいまで生きないと時間が足りないのよ!」
アップル社ティム・クックCEOも注目する、82歳の日本人女性プログラマーの人生
若宮正子さん
アップル社が主催する今年のWWDC(世界開発者会議)で、最高齢プログラマーとして、ひときわ話題をさらったのは、ひとりの日本人女性。ティム・クックCEOから「どうしても会いたい」と招待された若宮正子さんは、想像を超える、文字どおり好奇心と行動力の塊のような人だった。
「マサーコー、ワカミーヤ」
アップルのティム・クックCEOが登壇。親愛の情を込めて若宮正子さんの名を呼ぶ。今年公開されたアプリの開発者で82歳の日本人だと紹介すると、大きな拍手が沸いた。
6月5日、IT企業がひしめくアメリカ西海岸のシリコンバレーで開かれたアップルの世界開発者会議「WWDC2017」基調講演でのことだ。世界各国から5300人の開発者が集まる年に1度のイベントで、最高齢プログラマーとして招待された若宮さんには、外国メディアの取材が相次いだ。
若宮さんが作ったのはiPhone用アプリ「hinadan(ひな壇)」。ひな人形を正しい位置に置くゲームで、誰でも無料でダウンロードできる。シンプルな内容だが、やってみると五人囃子の配置などうろ覚えで、結構難しい。今年2月24日に公開されると、「81歳(公開当時)のおばあちゃんが作ったシニア向けアプリ」と話題を呼んだ。
基調講演の前日、若宮さんはクックさんから、こう話しかけられた。
「あなたの存在は、私たちに勇気を与えてくれます」
若宮さんはhinadanを見せながら説明した。
年寄りは手が乾いていて指を滑らせるスワイプ操作が苦手なので、画面を叩くタップだけで遊べるようにした。正解・間違いを表す音が鳴るが、耳の不自由な人でもわかるように文字でも表示するなど、工夫した点を話すと、クックさんから質問が相次いだ。
「iPadでは使えないのですか?」
「文字のサイズは小さすぎませんか?」
「私も目が悪いので、大きいほうが助かります」
世界的企業のトップと直接話した印象を、若宮さんはこう表現する。
「なんだか街のパソコン塾の先生みたいなこと言うんだわ、この人はと思って(笑)。初心者の私のレベルに降りてきて、一緒に問題点を考えてくださったところがすごいですよね。
私のアプリは“今まで1回もスマホに触ったことがない人でも楽しめた”とよく言われますが、クックさんも経営者ですから、新しい顧客層を開拓できるとひそかに思ったんじゃない?」
実は若宮さん、アップルからの招待を1度断っていた。兄とのロシア旅行の予定と重なっていたためだ。
「断ったのに、どうしても会いたいと言っている人がいるから来てくれと。誰かと聞いたら、クックですと。え〜っ、それは行かなきゃまずいでしょと思ったのね」
温暖なアメリカ西海岸から帰国すると、スーツケースに防寒着を詰めて成田空港に取って返した。ロシア旅行から戻るとすぐ、神奈川県藤沢市の自宅にテレビの取材クルーが来た。
「時差があったし、メチャクチャ大変ですよ。でも、逆に言うと、疲れている暇がないくらい忙しい。あとでゆっくり疲れれば、いいじゃない。アハハハハ」
そう早口で言って、軽妙に笑い飛ばす。82歳とは信じられないタフさだ。
しかも、若宮さんがパソコンを始めたのは、なんと還暦を過ぎてから。プログラミングを学び始めたのは81歳のとき。それから半年でhinadanを完成させたというから、ビックリだ。
快挙の裏には、若宮さんが“師匠”と呼ぶ男性との出会いがあった。スマホアプリの開発やプログラミング教育を手がける宮城県塩釜市の小泉勝志郎さん(テセラクト代表取締役社長)だ。
若宮さんはNPO法人ブロードバンドスクール協会(以下BBS)の活動で仲間とシニアにスマホを教えている。その活動の一環で、震災復興支援活動をする小泉さんと知り合った。
「お年寄りが若者に勝てるゲームを作りませんか」
会うたびに、小泉さんは若宮さんにそう話した。一緒にアイデアを練り、生まれたのがhinadanの原型だ。
それをもとにゲームの仕様書を書いた若宮さんは、小泉さんにアプリを作ってほしいと頼んだ。だが、小泉さんの返答は思わぬものだった。
「僕が作っても話題にならないけど、若宮さんが作ったら、チョー話題になりますよ。僕が教えますから」
そして昨年8月、無料通話アプリのスカイプやFacebookのメッセンジャーで連絡を取りあい、二人三脚の挑戦が始まった。
小泉さんによると、若い人でも半年間でアプリを作るのは大変だという。それを当時81歳の若宮さんが成し遂げたのには、いくつかの理由があったそうだ。
「プログラミングって全部、英語で書くんですよ。僕は学生にも教えていますが、みんな英語が出てきた瞬間に動きが止まっちゃう。でも、若宮さんは海外旅行が趣味なので、英語に抵抗がない。
しかも、BBSの例年行事である翌年の“電脳ひな祭り”までに、絶対に出したいという固い意志がありました。プログラムを作っていると、思うように動かないことがよくありますが、若宮さんはメンタルが強くて心が折れないんですね。そもそも普通のお年寄りは自分でアプリを作ろうとはならないけど、若宮さんの新しいものに対する感度のよさはすごいです」
若宮さん自身は、どんな思いで取り組んでいたのだろうか。
「だって、年寄りが面白いスマホゲームって、全然ないんですよ。私が習ったswiftという新しいプログラミングソフトは、ある程度までは図を使って感覚的にできるんです。昔みたいに上から下まで全部文字をダーッと打つ必要はありませんが、それでもお世辞にも簡単とは言えないですよ。
でもね、うまくいかなければ途中でやめればいいわけですし。やめても誰も死なないし、オレオレ詐欺みたいに何百万円も取られるわけじゃないしね(笑)」
前向きなだけでなく、絶妙な力の抜き加減だ。
■好奇心旺盛な負けず嫌い、女性初の管理職に
3人きょうだいの末っ子の若宮さんには、91歳、86歳の兄がいる。
「妹が急に雲の上に上がっちゃった感じ」と感慨深げなのは次兄の若宮和夫さん。毎年のように一緒に旅行に行くなど仲がいい。
「妹の名前で検索したら、イタリア語、アラビア語、ヒンディー語など、いろいろな国の記事が引っかかってきて、面白かったですよ。妹はいつか何かをやると思っていましたが、ネット時代だからここまで有名になったんでしょう。努力もあるでしょうが、昔から運もいいんですよ」
和夫さんによると、幼いころから若宮さんの意志の強さは際立っていたそうだ。
「1度機嫌をそこねると、そこらへんに寝ちゃって、幼稚園の先生が何を言っても聞かない。大物というか、怪物というか(笑)。好奇心もものすごく旺盛で、とにかく元気がよかったですね。おふくろは田舎の村長の娘で、勉強でも走るのでも、何でも1番じゃなきゃダメだという人で、妹はそっくり。負けず嫌いでしたね」
若宮さんは1935年、東京の阿佐ヶ谷で生まれた。6歳のとき太平洋戦争が開戦。空襲がひどくなると長野県に学童疎開した。親が恋しかったというよりも、食べるものがろくになく、いつも空腹でひもじかった記憶のほうが鮮明だという。
会社員の父の転勤で家族そろって兵庫県に行くことになり、準備のため東京に戻ってきたら、毎晩のように空襲があった。
「照明弾や焼夷弾がダーッと降ってきて、機銃掃射が始まるのを、何か他人事みたいに、あっけにとられて見ていました。死ぬんじゃないかと大人たちが話してましたが、まだ9歳の私は死ぬって意味がよくわからなかったですね。幸い、うちの一角は焼け残りましたが」
兵庫県で終戦を迎え、東京に戻ったのは中学2年になるときだった。新制中学に切り替わったばかりで、外地から引き揚げてきた作曲家が担任になるなど、教師もバラエティーに富んでいた。
高校は難関の東京教育大学(現・筑波大学)附属高校に進んだ。
「私、今でもそうですが、自分のしたいことをしたいんです。それにダメモト主義ですから、受けたら受かっちゃったの。私より成績がいい人はいっぱいいたのに。なんかね、ものすごく運がいいんですよ。まあ、図々しくてあがらないから、本番に強いって説もありますが」
卒業を前に就職の本を買って調べたら、給料がいちばんいいのが銀行だった。大手都市銀行の試験を受けると、見事に合格。ところが──。
「まだ機械化もコンピューター化もされてなくて、すべて手作業の時代。不器用な私はついていけなくなっちゃったんです。算盤を手早くやったり、お札を数えたり、言われたとおりキチンとこなすのが苦手で。ちょっとした病気をきっかけに、うつ状態になり長期欠勤したり……。いろいろ迷惑をかけましたが、辞めさせられないですみました」
20代のころ、結婚を考えた相手がいた。だが、学園紛争のさなか音信不通になってしまったという。
ふと思いついて、聞いてみた。
「その相手が忘れられなくてずっと独身だったんですか?」
若宮さんはしばらく考えて、冷静に答えた。
「もしかすると、そうかもしれないわね。でも、逆に言えば、独身だったから、仕事をしながら毎年、海外旅行に行ったり、いろいろやりたいことをできたんですよ。当時は結婚して子育てをしながら、ほかのことができるような時代ではなかったから」
高度経済成長を経て銀行業務の機械化が進むと、風向きが変わってきた。算盤を手早くやるより、アイデアマンが重用されるようになり、若宮さんは花形部署である業務企画部に配属された。
もともと好奇心旺盛な若宮さんはさまざまな提案をした。例えば、今ではコンビニで各種料金の支払いができるが、その回収代行制度のもとになるアイデアを出したのは若宮さんだという。
「すごい!」と驚くと、「もちろん、私ひとりでやったことじゃないですけどね」と謙虚に付け加えた。
’85年の男女雇用機会均等法制定を前に、若宮さんの銀行でも女性が管理職登用に関係する試験を受けられるようになり、若宮さんは女性で初めて企画部門の管理職になった。子会社への出向を経て62歳まで働いた。
■介護がきっかけでパソコンに夢中に
退職する前のある日、事件が起こった。
若宮さんはずっと母の鶯子枝さんとふたり暮らしだった。父は早くに亡くなり、兄たちは結婚して独立したからだ。いつも通勤に使っていた東海道線が事故で遅れていたため、帰宅が2時間ほど遅くなると、当時90歳近かった母に電話を入れた。
ところが、家に着くと鶯子枝さんがいない。近所を必死に探し回り、困って警察に駆け込むと、自宅から4キロ離れた場所で保護されているという。鶯子枝さんは見知らぬ家の前で「娘が死んじゃった」と泣いていたそうだ。
「ボツボツ認知症の症状が出始めていたんですが、これはちょっとヤバいなと。退職したら、なるべく家にいないといけないなと思いました。
私、おしゃべりでしょう。おまけにお出かけ好きだから、どうしようかなと思って。本を読んでいたら、パソコンがあればオンラインでチャットができると書いてあったので、パソコンを買ったんです」
素人でも操作しやすいWindows95が発売される前のことだ。メーカーに電話をしたり、販売店で聞いたりしながら、インターネットに接続するのに3か月かかった。
「ちょうど暑い日でね。“ようこそ”というメッセージが出てきたときは、汗と涙でもうウルウル。思わず涙が出たくらいうれしかったですね」
お目当てはシニア向けの全国ネット「メロウフォーラム(現メロウ倶楽部)」。いわばインターネット上の老人会で、掲示板やチャットでの交流のほか、地域ごとにオフ会も盛んに行われている。
「人生、60歳を過ぎると面白くなりますよ」
70歳の会員が送ってくれたウエルカムメッセージに大いに勇気づけられた。
「そこではなんでも本音で語り合えるんです。俳句の部屋とか、生と老の部屋とか、テーマごとに掲示板があって、自分がどうやって年を取って病気になって死んでいくか、先輩たちが身をもって教えてくださることもあります」
ときに、メンバーからこんな書き込みがある。
《長いこと世話になったな。今日はやっと3行書けたけど、明日、何も書かなかったら俺は死んだと思ってくれ》
しばらくして自宅に問い合わせると、書き込みをした後、昏睡状態に陥り、亡くなったと告げられたという。
若宮さんは毎朝、パソコンを立ち上げるとメンバーに挨拶。チャットでおしゃべりを楽しみながら、10年近く在宅で介護を続けた。
次兄の和夫さんがときどき手伝いに来てくれたし、デイサービスやショートステイを利用したとはいえ、「さぞ大変だったでしょう」と聞くと、意外な言葉が返ってきた。
「取材の方は、みなさんそうおっしゃるし、苦労したに違いないと書かれることもありますが、そんなに困ったことは思い出せないんです。母は物忘れがひどくなり、探し物ばっかりしていましたが、忘れるっていうことは、いい面もあるんですよ」
例えば、カボチャを煮る。次の日に残ったカボチャを出しても、
「あら珍しい。美味しいわ」
と、喜んで食べてくれたそうだ。
「私は不良介護人ですから、パソコンをやってて面白くなったらもう夢中でやるでしょ。気がつくと外は真っ暗で、“いけない、おばあちゃん(鶯子枝さん)にオヤツあげるの忘れてた!”とか、しょっちゅう(笑)。それでも100歳まで長生きしたんですから、いいんじゃない?」
■年齢を理由には行動に制限をしない
若宮さんはデジタル機器を使いこなせるようになると、教える側にまわった。
前述のBBSの仲間とともに、高齢者にパソコンやスマホなどを普及するボランティア活動を長年続けている。
メンバーのひとりで20年来の友人である近藤則子さん(62)は、若宮さんの行動力と勇気には驚かされてばかりだという。
「普通だったら、何歳になったからと年齢で行動を制限しちゃう人が多いけど、マーチャン(若宮さんの愛称)は本当に好奇心がいっぱいで、何か新しいものがあったら、すぐにチャレンジするし、どこか行きたいところがあったら、すぐに行くんです」
しかも、周りの人が「ちょっと危ないんじゃない?」と心配するようなことでも、若宮さんは「大丈夫、大丈夫」とやってしまうのだと、近藤さんは強調する。
「ヨーロッパでもオーストラリアでも、ガイドブックに載ってないようなところを自分で調べて、宿泊の予約もしないで1人で行くんですよ。
一緒に香港に行ったときも、2人とも中国語は話せないのにマーチャンがタクシーを止めて交渉して。サバイバルじゃないけど、そういう生きる力がすごいですね」
若宮さんが初めてフランスに旅行したのは40年近く前。まだ持ち出せるお金の制限などがあったころだ。
安い宿に泊まり、好奇心のおもむくままに珍しいものや現地の人の暮らしを見て回るのが若宮さん流だ。銀行で管理職になってからも率先して有休を取り、毎年、海外に行った。旅先で便利だろうと英語も習った。
そうして習得した英語が、後にアプリ開発にも役立ったのだから、人生は面白い。
■面白くなくっちゃ、やる気にならない
10年以上前から、自宅でパソコン教室も開いている。若宮さんが開発した「エクセル・アート」で日本の伝統的な模様をモチーフにデザインをしたり、ワードで絵を描いたり、楽しみながら技術が身につく工夫をしている。
「高齢の女性は手芸とか好きでしょう。エクセル・アートはその延長線上ですから、喜んでおやりになるんです。しかもエクセルを勉強すると、コンピューターとは何か、わかってくるんですね。
シニアにパソコンを教えるというと、よく家計簿と1か血圧の推移をグラフにしたりするけど、そんなのちっとも楽しくない。やっぱり、面白いからやってみたいと思わせないとダメですよ」
生徒は60代から80代まで女性ばかり6人だ。今年3月から通い始めた山澤和江さん(62)に聞くと、和気あいあいとおしゃべりしながら教わる家庭的な雰囲気で、すぐになじめたという。
「本当に脳トレみたいです(笑)。パソコン歴は10数年ですがエクセルは初めてだったので、最初はチンプンカンプンでした。作業は同じことの繰り返しで、色を変えたり、方向を変えたりしますが、手がうまく動かない。先生に言われると、なるほどそうだと思うけど、家に帰ると忘れちゃう(笑)。何度もやらないと自分のものにならないですね」
山澤さんがワードで描いた花の絵を印刷したポストカードを見せてくれた。友人に配ったら好評だったという。次はエクセル・アートでデザインした絵をシャツにアイロンプリントして、身につけたいと張り切っている。
■120歳まで生きないと時間が足りない
若宮さんにシニア向けの新しいアプリは作らないのか聞くと、アイデアは10も20もあるという。シニアの知恵や日本の伝統を後世に伝えるようなアプリを考案中だ。
忙しい合間を縫って、ほぼ毎日Facebookに記事を投稿しており、アップルのWWDCの様子も写真つきで紹介している。またFacebookではこの2年間、「エイティーズの冒険」と題して、シニアが自立するための提案を連載している。近いうちに完成させて電子書籍にしたいそうだ。
「“リケジョ”ならぬ、“リケロウ”こそ必要なんです。老人がパソコンやスマホが苦手なのは、理科がわからないから。文部科学省に言っても100年たっても実現しないでしょうから、まずバーチャルな老人小学校を作って、理科を教えたいと考えています。
今のスマホは音声入力できるから、たとえ寝たきりになっても使えるし、エンディング間近な人同士が交流できるバーチャルターミナルケアみたいなものも、もっとあってもいいと思います」
次々と構想を語りだすと止まらない。
「あとはね、死ぬまでに1度でいいからテレビドラマが作りたいんです。ああ、でもこれは無理かしら」
「若宮さんをモデルにしたドラマができたりして」 思わず口にすると、すかさず答える。
「だったら脚本を書くとか。プログラミングも、もっと勉強したいし。とにかく、やりたいことがありすぎちゃう」
そして、真剣な面持ちでこう訴えた。
「計算するとね、120歳くらいまで生きないと時間が足りないのよ!」
靖国神社・奉納相撲=無料 [まったり日より]
毎年、桜の季節に行われていた 靖国神社の奉納相撲ですが、
たくさんの人が訪れるので・・ 日が変わって・・ 桜の季節をずらしての開催になっています。
今年は・・http://www.yasukuni.or.jp/news_detail.php?article_id=0097
■奉納大相撲実施要領
奉 納 : (公財)日本相撲協会
日 時 : 平成29年4月17日(月) 午前9時~午後3時頃
(午前8時30分頃開場予定)
場 所 : 靖国神社相撲場 【入場無料】
内 容 : 1. 土俵祭(午前9時)
2. 取組開始(午前10時40分)
初切り・相撲甚句
櫓太鼓打ち分け
3. 協会役員・横綱・幕内力士参拝(午後1時10分)
4. 中入(午後2時)
横綱以下幕内力士土俵入
5. 打出し(午後3時予定)
6. 収容人員 当日先着順6,000名
(※ 入場制限をすることがございます)
まこちゃんが相撲を見に行ったときは・・
1.8時30分よりも もっと早い時間に行って並びました。
2.会場はブルーシートが敷かれていますが、冷たく固いので、お尻の下に敷く物が必要です。
3.会場内のトイレ2箇所で和式です。 多数の人が使いますので、けっこう並びます。
男性用は会場内の別の場所にも設置されています。
4.朝から並んで、ず〜っと座っていることになるので、お弁当持参です。
飲食物は会場内に特設の売店が出ていますが、少なめです。
5.お天気が良いと日差しが強いので、帽子、タオル、脱ぎ着できる上着等、日焼け止めクリーム、扇子やうちわがあると便利です。
6.通路の後ろ側の席は 通路に人が立つので 見づらいです。
7.会場から出ると、再入場できない事があります。荷物を置いていても同様に入れない事があります。係の人に確認して、トラブルが無いようにしましょう。
8.正面は招待席ですが、時間が来るとロープが取り除かれて、後ろの方に並んでいた人達が中に入れるようです。
9.席取りは あっという間です。がんばってね
桜〜さくら〜 [まったり日より]
バタバタと毎日をすごしています。
まこちゃんもすっかり大人になって・・写真を嫌がるようになりまして・・
先月の末ですが、巻き爪治療で そめのまち診療所に行ってから、新宿に寄って・・
その時に、とても素敵な会が催されていました。
私はゆっくりと見たかったけれど、まこちゃんは「お腹が空いたのです〜」ですよね・・
お昼を回って2時近くでしたので・・
小腹を満たしてから・・
新宿サザンテラスの紀ノ国屋書店は洋書コーナーをお散歩・・
書店は6階だけに縮小されて、下の階にはニトリがど〜んと入っています。
まこちゃんは ニトリに興味が無いので・・後ろ髪を引かれる〜〜感じで・・
ちょっと時間調整をしたら・・
その後は、市ヶ谷で 英・英語のくもん〜〜
公文が終わって、家に急いで帰ったら・・・
私は、竹本良さんのUFO千夜一夜の方におでかけ・・
世界をツアーしているARIYANAさんの来日で、特別なメッセージを聞きたくて・・
超ご近所の ○○会館まで行って来ました
4月からは 久しぶりに王子の障害者スポーツセンターのプールに行こうと思っていたら、
なんと・・オリンピック・パラリンピック前の大改修で プールは無し・・
近所のプールは 一般の区のプールなので、パパの付き添いが必要です。
パパの水着も買わないとね〜〜
そんなこんなでバタバタしていま〜す。
まこちゃんもすっかり大人になって・・写真を嫌がるようになりまして・・
先月の末ですが、巻き爪治療で そめのまち診療所に行ってから、新宿に寄って・・
その時に、とても素敵な会が催されていました。
私はゆっくりと見たかったけれど、まこちゃんは「お腹が空いたのです〜」ですよね・・
お昼を回って2時近くでしたので・・
小腹を満たしてから・・
新宿サザンテラスの紀ノ国屋書店は洋書コーナーをお散歩・・
書店は6階だけに縮小されて、下の階にはニトリがど〜んと入っています。
まこちゃんは ニトリに興味が無いので・・後ろ髪を引かれる〜〜感じで・・
ちょっと時間調整をしたら・・
その後は、市ヶ谷で 英・英語のくもん〜〜
公文が終わって、家に急いで帰ったら・・・
私は、竹本良さんのUFO千夜一夜の方におでかけ・・
世界をツアーしているARIYANAさんの来日で、特別なメッセージを聞きたくて・・
超ご近所の ○○会館まで行って来ました
4月からは 久しぶりに王子の障害者スポーツセンターのプールに行こうと思っていたら、
なんと・・オリンピック・パラリンピック前の大改修で プールは無し・・
近所のプールは 一般の区のプールなので、パパの付き添いが必要です。
パパの水着も買わないとね〜〜
そんなこんなでバタバタしていま〜す。
春一番の強風〜〜 [まったり日より]
「春一番の風が吹きますよ〜」という予報がでるくらいの
あたたか〜い小春日和・・
お散歩ぎらいの 俺様を連れ出して・・
近所の 清澄庭園までお散歩に行きました
冬の時期には 鯉も亀も冬モードで動きが鈍くなるので
庭園での餌やりは禁止のことを すっかり忘れて・・
「ふ」を買っていってしまい・・
受付で「預かり」になりました(お手数かけてすみません)
庭園の梅は満開で・・とても良い香りです
ああ〜〜いい香り・・と うっとりしている私を置いて・・・
どんどん 先に行く俺様・・・
途中で 庭師の方が 電話工事ですか?と思うような
大きな機械で 作業をしているようすを見て・・・
目がきらきら
男の子だな〜・・・と思う瞬間ですね・・
都会の中にある庭園は 回りがマンションやビルに囲まれているのですが
この庭園は とても静かで 憩いの場になっています
そうそう・・春一番の風
庭園のお散歩の時も・・・
風が びゅ〜〜と吹くたびに・・・
「OH! NO! 落ちるない〜(おちない)」と声をあげていた俺様
本当にそのくらい 強い風が吹いていました
笑って見ていた私ですが・・ 清洲橋の上では
飛ばされそうに強い風に ビビっておりました
暖かいと寒いを繰り返しながら・・・ 春はもうすぐですね〜・・・
あたたか〜い小春日和・・
お散歩ぎらいの 俺様を連れ出して・・
近所の 清澄庭園までお散歩に行きました
冬の時期には 鯉も亀も冬モードで動きが鈍くなるので
庭園での餌やりは禁止のことを すっかり忘れて・・
「ふ」を買っていってしまい・・
受付で「預かり」になりました(お手数かけてすみません)
庭園の梅は満開で・・とても良い香りです
ああ〜〜いい香り・・と うっとりしている私を置いて・・・
どんどん 先に行く俺様・・・
途中で 庭師の方が 電話工事ですか?と思うような
大きな機械で 作業をしているようすを見て・・・
目がきらきら
男の子だな〜・・・と思う瞬間ですね・・
都会の中にある庭園は 回りがマンションやビルに囲まれているのですが
この庭園は とても静かで 憩いの場になっています
そうそう・・春一番の風
庭園のお散歩の時も・・・
風が びゅ〜〜と吹くたびに・・・
「OH! NO! 落ちるない〜(おちない)」と声をあげていた俺様
本当にそのくらい 強い風が吹いていました
笑って見ていた私ですが・・ 清洲橋の上では
飛ばされそうに強い風に ビビっておりました
暖かいと寒いを繰り返しながら・・・ 春はもうすぐですね〜・・・
天国の友達へ・・ [まったり日より]
時々しか更新しなくなった私のブログですが・・
いつも応援してくれた友達がいました。
釣りが好きで タコ釣り名人のディブ松本さん
日本橋の辺りにも 釣りに行ってるよ〜って・・・
春になったら、会えるかな?
今度こそ、連絡待ってるよ〜・・・そんな気持ちでいました。
12月14日のブログの書き込みの後・・書き込みが途絶えていたのが気になって
どうしたのかな〜・・・?と思って 何度か訪問していましたが・・
12月19日に入院されて・・・
2月6日に 天国に召されたと・・
会えないまま お別れになってしまいました。
・・言葉にできない 寂しさで・・
彼の子ども達への愛情を思い出すたびに 涙がこぼれてしまいます。
きっと、空から子ども達のことを優しく見守っていて下さると思います。
いつも応援してくださって ありがとうございました。
ディブ松本さんに出会えて 感謝しています。
・・・ありがとうございました・・・
心から ご冥福をお祈りいたします。
ディブ松本さんブログ
『プラス思考でいきましょう』
いつも応援してくれた友達がいました。
釣りが好きで タコ釣り名人のディブ松本さん
日本橋の辺りにも 釣りに行ってるよ〜って・・・
春になったら、会えるかな?
今度こそ、連絡待ってるよ〜・・・そんな気持ちでいました。
12月14日のブログの書き込みの後・・書き込みが途絶えていたのが気になって
どうしたのかな〜・・・?と思って 何度か訪問していましたが・・
12月19日に入院されて・・・
2月6日に 天国に召されたと・・
会えないまま お別れになってしまいました。
・・言葉にできない 寂しさで・・
彼の子ども達への愛情を思い出すたびに 涙がこぼれてしまいます。
きっと、空から子ども達のことを優しく見守っていて下さると思います。
いつも応援してくださって ありがとうございました。
ディブ松本さんに出会えて 感謝しています。
・・・ありがとうございました・・・
心から ご冥福をお祈りいたします。
ディブ松本さんブログ
『プラス思考でいきましょう』
バレンタイン・デー [まったり日より]
今年は、パパが海外出張中なので バレンタインデー どうしようと思っていたら、
「先にもらってもいいよ」と
バレンタインをちょっと早めにしました。
いつも お世話になった方に 毎年バレンタイン・チョコレートを送っていたのですが、
ここ数日の体調不良の低空飛行で 送り損ねてしまいました
「大丈夫だよ 帰国したら ぼくが食べるから〜」とパパ。
まこちゃんには ↓これよりも小さいサイズのチョコレートにしてみました。
毎年、チョコレートをもらっても・・・
上に何か乗っているとか・・
中に何か入っていると・・・絶対に食べませんでした。(感覚過敏、味覚過敏のため)
そして・・・「おとうさんに あげます」
今年も そうなのかな?と思って 小さめのチョコレートにしたのですが・・・
今年の俺様は・・
『 完食! 』
「美味しかったのです」と 喜んでくれました。
俺様の味覚・・ また ちょっと広がったのかな? また新しい楽しみが広がるね〜
「先にもらってもいいよ」と
バレンタインをちょっと早めにしました。
いつも お世話になった方に 毎年バレンタイン・チョコレートを送っていたのですが、
ここ数日の体調不良の低空飛行で 送り損ねてしまいました
「大丈夫だよ 帰国したら ぼくが食べるから〜」とパパ。
まこちゃんには ↓これよりも小さいサイズのチョコレートにしてみました。
毎年、チョコレートをもらっても・・・
上に何か乗っているとか・・
中に何か入っていると・・・絶対に食べませんでした。(感覚過敏、味覚過敏のため)
そして・・・「おとうさんに あげます」
今年も そうなのかな?と思って 小さめのチョコレートにしたのですが・・・
今年の俺様は・・
『 完食! 』
「美味しかったのです」と 喜んでくれました。
俺様の味覚・・ また ちょっと広がったのかな? また新しい楽しみが広がるね〜
風邪ひきさんです [まったり日より]
風邪に注意ですよ〜〜〜と書いていた私が・・・
とうとう流行にのって 風邪を引いてしまいました・・・
午前中に 近所の病院に行くと・・
11時半頃、「午前中の診察は終わりました」の札が出ていて・・
ガラスドアごしに 満員御礼〜というほどの混雑状況が見てとれたので・・
月曜日だし・・
インフルエンザの患者さんも多いのかも・・と思いながら
午後の診察時間に行ってみると 待合室には2人だけだったので、
マスクをしながら ほ〜〜〜っとしていました。
そうそう・・我が家は 風邪を引くときは
たいてい・・・俺様(まこちゃん)と私がダブルで引いてます。
密着度が高いからかな〜〜?
のどから来る風邪の場合が多いのですが、
のどが痛い・・と思った翌日には・・
点滴状態になるほど悪化しやすいのが私の風邪の特徴なので
病院の先生に この事をお話しして 早めに抗生物質を頂いてきました。
俺様は、「注射はいやなのです」ということで、
絶対に点滴をしたくない=針恐怖症ですから・・・
風邪を引くと いつも病院に早めに行っています。
小さい頃の卵アレルギー(全身に発疹)は弱くなっていますが、
俺様が小さい頃に大好きだった卵焼き〜 アレルギー以来、一度も食べていません
食品に卵が混ぜてある程度のものには もうアレルギーが出ていないので、
予防接種もできそうなものですが・・・
針を見ると 恐怖で・・逃げるとか・・
多少〜暴れるとか・・ いろいろあってできません
それで、風邪の症状が出たら、すぐ病院に行く・・・という感じです。
というわけで・・ どうしても血液検査という時は かなり作戦をたててから、
イッパツOKの 腕のいい看護師さんに待機して頂いて お願いしています
まこちゃんの事情を知っている先生の所でないと・・なかなか大変です。
梅の花の季節になりましたが・・
だんだん暖かくなってくると 花粉も飛んできますよね。
私の友達が 3月にインドに旅行に行くと聞いて・・
『花粉対策グラス』オーバルタイプ を買ってきました
紫外線99%カット、花粉・ホコリ・紫外線から目をガードと書かれていて
黄砂や粉塵にもOKみたい・・
インドの大気汚染はものすごいので、旅行グッズに入れてもらえたらいいな〜と思っています。
皆さま・・インフルエンザには 気をつけてくださいね〜〜〜
とうとう流行にのって 風邪を引いてしまいました・・・
午前中に 近所の病院に行くと・・
11時半頃、「午前中の診察は終わりました」の札が出ていて・・
ガラスドアごしに 満員御礼〜というほどの混雑状況が見てとれたので・・
月曜日だし・・
インフルエンザの患者さんも多いのかも・・と思いながら
午後の診察時間に行ってみると 待合室には2人だけだったので、
マスクをしながら ほ〜〜〜っとしていました。
そうそう・・我が家は 風邪を引くときは
たいてい・・・俺様(まこちゃん)と私がダブルで引いてます。
密着度が高いからかな〜〜?
のどから来る風邪の場合が多いのですが、
のどが痛い・・と思った翌日には・・
点滴状態になるほど悪化しやすいのが私の風邪の特徴なので
病院の先生に この事をお話しして 早めに抗生物質を頂いてきました。
俺様は、「注射はいやなのです」ということで、
絶対に点滴をしたくない=針恐怖症ですから・・・
風邪を引くと いつも病院に早めに行っています。
小さい頃の卵アレルギー(全身に発疹)は弱くなっていますが、
俺様が小さい頃に大好きだった卵焼き〜 アレルギー以来、一度も食べていません
食品に卵が混ぜてある程度のものには もうアレルギーが出ていないので、
予防接種もできそうなものですが・・・
針を見ると 恐怖で・・逃げるとか・・
多少〜暴れるとか・・ いろいろあってできません
それで、風邪の症状が出たら、すぐ病院に行く・・・という感じです。
というわけで・・ どうしても血液検査という時は かなり作戦をたててから、
イッパツOKの 腕のいい看護師さんに待機して頂いて お願いしています
まこちゃんの事情を知っている先生の所でないと・・なかなか大変です。
梅の花の季節になりましたが・・
だんだん暖かくなってくると 花粉も飛んできますよね。
私の友達が 3月にインドに旅行に行くと聞いて・・
『花粉対策グラス』オーバルタイプ を買ってきました
紫外線99%カット、花粉・ホコリ・紫外線から目をガードと書かれていて
黄砂や粉塵にもOKみたい・・
インドの大気汚染はものすごいので、旅行グッズに入れてもらえたらいいな〜と思っています。
皆さま・・インフルエンザには 気をつけてくださいね〜〜〜